写真 上海海軍特別陸戦隊戦車隊
元持ち主:武二氏(苗字不明)
関連:上海海軍特別陸戦隊
時期:昭和12〜13年(1937〜1938年)頃
場所:上海、青島
説明:元上海海軍特別陸戦隊・野戦重砲隊武二一等水兵のスクラップブックより写真43枚。
提供:安達オースティン
キーワード:海軍陸戦隊、第二次上海事変、戦車、装甲自動車
上海々軍特別陸戦隊 戦車隊第1小隊第13号車 昭和12年8月事変真最中
事変中のカモフラジ 八字橋にて思い出の毘式装甲車
昭和12年1月4日 事変前の我が上海海軍特別陸戦隊戦車隊の勇姿 毘式を先頭に勇ましい戦車隊の検閲中 こんな時があったかな
昭和13年1月14日 未明よりの青島に於ける砲隊の敵前上陸中厳寒も物ともせず0下16度の中で一週間海上待機も終り舟山列島より軍艦足柄を先頭に生れて始めれの青島敵前上陸
敵前上陸したが敵兵も逸去り実際の戦闘も出来ず残念だった
旗艦出雲 上海にて
昭和12年 総攻撃(10月27日)終りて上海デキン路6の橋の辺
我等が造った陣地
昭和12年9月上海市街戦 我等の17号装甲車毎日の戦闘に苦労す
暑い中にも雨の降る日も物ともせず上海居住民の生命財産の保護に当たる
第17号車は今どうして居るから別小ると全く思出輝く懐しく恋!我が装甲車よ
戦闘配置の毘式左機銃は今何処か
何時迄も元気で完備で上海の警備に就いて居るだろー
青島神社
昭和13年4月26日 海軍々楽隊・陸軍々楽隊の新公園にて
戦没者英霊祭に参加して
昭和13年4月26日 戦没者英霊祭 上海北四川路行進中海軍々楽隊
思出せは外出に警備何度か何十度か此の北四川路を通る時あの並んだ戦死者の墓標哨兵の姿は何はどうかと
青島陸戦隊本部(市政府)
昭和13年4月26日の戦没者英霊祭 上海新公園にて
陸軍・海軍共同軍楽隊 於新公園
事変終りて慰問園の一つ 小唄勝太郎
陸戦隊に於て 第2兵舎にて二面
青島砲台
昭和13年4月26日 上海新公園にて上海陸戦隊及支那方面艦隊陸戦隊戦没者英霊祭
此の日は雨は降って新公園に道は悪かったが亡き勇士に心からの感謝の念から厳正なる英霊祭午后は又とても良い支那晴(日本晴)となる軍楽隊陸海軍共に盛大な英霊祭だった
報国163号(第二女学生号)
昭和13年4月 昭和13年2ヶ月目青島から帰って始めの上海々軍警備地域の初運転訓練日
南支方面移動警備中
豆戦車は威力 新公園にて
注:加式軽戦車
今は上海神社に事変の思い出の記念として我等陸戦隊戦車隊の取った敵の戦車です
昭和12年事変中 上海だより中より見ている今度の激戦に戦車(タンク)一つぶん取ってラジオニュースで知らすから待った下さい お母さま!
昭和13年1月14日青島にて敵前上陸した其の日
海軍特別陸戦隊宍戸部隊長
新兵当時の海兵団長も今は海軍特別陸戦隊司令官宍戸好信少将
注:当時宍戸少将(海兵37期)は第1連合特別陸戦隊司令官
昭和13年6月 上海海軍特別陸戦隊戦車隊機銃車隊員一同
注:日付は元持ち主の誤記だと思われている。昭和12年以降上海海軍特別陸戦隊の機銃車のナンバープレートは普通に三桁番号。恐らく昭和10年撮影。
現上海々軍特別陸戦隊兵舎建造されない前
昔を忍ぶ上海々軍特別陸戦隊装甲車隊
注:昭和7年7月頃の撮影 先頭の装甲自動車はスミダP型(隅田式も呼ばれている)装甲自動車車報国1号(長岡市号)、後ろの二両は毘式(クロスレー)装甲自動車
昭和12年12月南京陥落記念で上海でも上海陥落記念を期して戦車隊の市内警備戦車を先頭に在住居民心強い陸戦隊 有難さ日本帝国の有難さ思はれむ
注:先頭の戦車は八九式軽戦車(初期甲型)、次の2両は八九式中戦車(後期甲型)、後尾は加式軽戦車
戦車隊が取った支那軍の戦車 上海神社境内にて事変の物語して居る
大日本海軍特別陸戦隊戦車隊第1小隊第17号車装甲車員中
野戦重砲隊指揮小隊中 武二一水よ写らる